シンガーソングライター、音楽プロデューサーとして有名な、米津玄師(よねずけんし)さんは、イラストレーター、映画作家としても知られていますよね。
そこで今回のこの記事では、米津玄師さんがどのような環境でこのような素晴らしい天才的才能を開花させたか。
その生い立ちや家庭環境などを探ってみました。
ぜひ最後までお読みください。
・米津玄師の驚きの生い立ち!
・米津玄師の家庭環境
・米津玄師の天才的才能
・まとめ
米津玄師の驚きの生い立ち!

米津玄師さんの生い立ちに迫ってみます。
米津玄師(よねづけんし)さんは、 1991年3月10日生まれ、徳島県出身。
川と海に囲まれた自然豊かな町で育った米津玄師さん。
米津さんは、美術教員の免許を取得していた母親の影響で、幼少期から絵を描くのを好んでいたといいます。
そして、漫画家になる夢を持っていました。
しかし、子供の頃に漫画家がどれだけ忙しい生活をしているかという話を知って、自分には務まらないと思ったそうです。
米津玄師の家庭環境

米津玄師さんは、どんな家庭で育ったのでしょう。
米津玄師さんの家族構成は、お父さん、お母さん、お姉さんの4人家族。
お父さんの職業についてコンピューター関連の会社員であるということがわかっています。
また、お母さんは、美術の教員免許を持っていたので、チラシを作る仕事をしていたそうです。
お姉さんについては、こんなエピソードがあります。
「BEHIND THE MELODY~FM KAMEDA」で、「小さい頃、姉がピアノを間違えて弾いているのを 横でずっと聴いていたけど、自分で弾いたことはないです。」
と、話していました。
米津玄師さんは、過去の音楽誌のインタビューで、「今になって思い返してみると、精神的にも肉体的にも貧しい家庭だった」また、「学校では勉強もせず、授業中はずっと寝ていて、自分の興味の範囲から全く外に出ない人間だった」とも、話していました。
しかし、大都会ではなく自然豊かな町で、ピアノがある家庭に育っているということは、結構、裕福な家庭ではないかと想像されます。。
高校は地元の徳島県立徳島商業高等学校に進学し、大阪芸術大学付属大阪美術芸術専門学校に通いながら、BAND活動をしていました。
そのような環境の中、米津玄師さんの素晴らしい天才的才能を開花させた一番の要因は何なのか。
米津玄師の天才的才能!

米津玄師さんの天才的才能は、どのようにして開花したのか?
探求してみました。
気になるのは、自身のブログで「高機能自閉症」だと公表していることです。
米津玄師さんは幼少期から身体も大きく、個性的な名前など、子供の頃から普通ではないという感覚に苦しんでいたようです。
あまり友達もおらず、自分の頭の中で作りあげた架空の人物と話すことを、心の拠り所にしていたとも語っています。
その違和感がどこから来るのか、その理由がわかるのは、20歳の頃。
「人とコミュニケーションがうまくとれないことなどに疑問を感じて病院を訪れたところ、《高機能自閉症》と診断されたそうです。
出典:Livedoor
現在、日本最注目アーティストと呼ばれる米津玄師さん。
ドラマ『アンナチュラル』の主題歌「lemon」 は、2018年3月14日の発売から1週間を待たずに、ミリオンセールスを突破。
そして、米津玄師さんは、『第69回 NHK 紅白歌合戦』の時は地元徳島から生中継でテレビ初歌唱し、話題になりました。公開から1年を待たずして YouTube での再生回数が3億回を突破したのも凄いですね。
2024年の「第75回紅白歌合戦」には特別企画として出場決定しました。
幼少期から辛い思いを繰り返してきたに違いない米津玄師さん。
その熱い想いが、大勢の人の心に強く響くのでしょう。
「Lemon」「ピースサイン」「さよーならまたいつか」「KICK BACK」「アイネクライネ」などなど、聴けば聴くほど、
米津玄師さんの天才的才能が生んだ楽曲は、素晴らしいとしか言いようがありません。
「高機能自閉症」とは、「天才的才能の持ち主」ということですね。
まとめ
今回は、米津玄師さんの驚きの生い立ち、天才的才能を育てた家庭環境についてお伝えしてきました。
米津玄師さんは、美術教員の免許を取得していたお母さんの影響なのか、漫画家になる夢を持っていました。
また、家庭環境が天才的才能を育てたのは間違いないかと思います。
自ら「高機能自閉症」であること公表した米津玄師さん。
「高機能自閉症」は、天才的能力を持っているということを、教えてくれているようですね。
やっぱり、米津玄師さんの天才的才能、最高です!
それでは、ありがとうございました!
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