お笑い芸人としてだけでなく、ファッションアイコンやインフルエンサーとして世界的に活躍している渡辺直美さん。
明るくパワフルなキャラクターの裏には、幼少期の経験や環境が大きく影響しています。
今回は、台湾と日本の両方で過ごした渡辺直美さんの少女時代に迫り、そのエピソードをまとめました。
渡辺直美は台湾生まれのハーフとして誕生

渡辺直美さんは1987年、台湾人の母と日本人の父のもと、台湾で生まれました。
3歳の頃、両親が離婚。母と共に日本・茨城県に移り住みます。
1987年10月23日に台湾で生まれ、日本人の父と台湾人の母と日本で生活(中略)茨城県で育てられ、母親に連れられ日本と台湾を行き来する生活だった。
出典:Jcastニュース
幼い頃から二つの文化に触れる環境で育ち、後の国際的な感覚や多様な価値観の基礎がここで築かれたといわれています。
家庭内では中国語、外では日本語という言語環境があり、自然とバイリンガル的な感覚を身につけていきました。
母子家庭となり、経済的には決して裕福ではありませんでしたが、母の明るくたくましい性格に支えられ、渡辺さんも前向きに育っていきます。
この時期の「環境に負けない強さ」が、彼女の持つ芯の強さの原点です。
渡辺直美の幼少期・明るいムードメーカー

小学生の頃からとにかく明るく、人を笑わせることが大好きだった渡辺さん。
教室のムードメーカーとして友達に囲まれて過ごしました。
しかし、見た目や体型のことでからかわれることもあり、時には傷つくこともあったそうです。
学校でいじめにあうことも少しあったものの、友人たちの優しさに振れたのもこの時期だったと渡辺。
出典:モデルプレス
それでも「自分らしさ」を失わず、笑いに変えるポジティブさを身につけたのは、この頃の経験が大きいといえます。
また、渡辺さんのファッションセンスは、台湾出身の母の影響が色濃く表れています。
派手な色使いや大胆な柄物を楽しむ母を見て育ち、「服は自分を表現するもの」という価値観を自然に学びました。
のちに原宿系ファッションやカラフルなコーディネートを取り入れるスタイルは、幼少期からのルーツにあります。
渡辺直美・コンプレックスと転機

中学時代は、周囲との体型の違いからさらにコンプレックスを抱えるようになります。
しかし、その反面「どうせなら笑われるのではなく、笑わせたい」と考えるようになり、文化祭や学年行事では率先して舞台に立つようになりました。
この「笑いで自分の立ち位置を作る」戦略が、お笑いの道を選ぶきっかけになります。
ファミレスで1日8時間のアルバイトを経験する中で、接客スキルや度胸を身につけ、将来の自立に向けて行動力を培います。
高校は行かずにファミレスで1日8時間のアルバイトをしてお金を貯め、吉本総合芸能学院(NSC)の東京校12期生に合格した。
出典:Jcastニュース
この頃の「自分で道を切り開く力」が、のちの海外進出にもつながります。
まとめ
台湾と日本、二つの文化の中で育ち、経済的な困難やコンプレックスを抱えながらも、笑いとファッションで自分を表現してきた渡辺直美さん。
現在の自由でパワフルな姿は、幼少期の多様な経験と前向きな精神によって形作られたものです。
これからも、世界で活躍する彼女の原点を知ることで、その魅力をより深く感じられるでしょう。
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