おぎやはぎのツッコミ担当として知られる矢作兼さん。
落ち着いたトーンと独特の間で繰り出す笑いに、多くのファンが魅了されています。
しかし、そんな矢作さんが芸人になる前は、実は“イケメン会社員”として働いていたというのはご存知でしょうか?
さらに、芸人として活動を始める前には、ちょっとした“尖り伝説”もあったとか…。
今回は、そんな矢作兼さんの若い頃の意外な一面と、芸人になるまでの道のりに迫ってみましょう!
矢作兼の若い頃・イケメン会社員だった

矢作兼さんは高校卒業後に貿易会社に就職し、営業職として社会人経験を積んでいます1
23歳のとき、僕は貿易の仕事で中国の上海か西安のどちらかを担当することになりそうだったんです。
出典:TVnavi
しかも、スーツ姿が似合う“爽やかイケメン”として社内でもかなりモテていたそうです。
当時は芸人になるとは思ってもいなかったとのことですが、すでに人を惹きつける魅力は十分に備わっていたようです。
本人いわく「会社員時代が一番モテた」とも語っており、周囲からは“デキる男”として一目置かれていたようです。
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矢作兼・芸人を志したきっかけは?

社会人生活に区切りをつけた矢作さんは、30歳を前にして人生を見つめ直したといいます。
そんなとき、学生時代の友人・小木博明さんとの再会がきっかけで、お笑いの世界に足を踏み入れることになりました。
なんと、NSC(吉本興業の芸人養成所)にも入らず、いきなりフリーでお笑いコンビ「おぎやはぎ」を結成したのです。
養成所に入ったところで、ネタ教えてくれなかったと思うんだよな
出典:NUMERO
オーディションに自ら乗り込み、テレビに出始めたという異例のルートもまた、彼の“尖りっぷり”を物語っています。
現在の落ち着いた雰囲気からは想像できませんが、矢作さんの若い頃には“尖った”エピソードが多々あります。
若い頃の“尖り”は落ち着きを見せつつも、その芯の強さは今も健在です。
年齢を重ねても変わらぬスマートな佇まいと、ブレない芸風こそ、長く愛される理由かもしれません。
尖りエピソード
- 芸人として売れる前から「テレビに出る」と周囲に豪語していた
- 自分たちのスタイルを曲げず、他人のアドバイスをあえて無視したことも
- 初期の頃は「なんで俺たちが売れないのか分からない」と真剣に語っていた
など、強い自信と信念をもってお笑いに挑んでいたことがわかります。
もちろん、それが後の“おぎやはぎらしさ”につながっていったのは間違いありません。
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まとめ
今では司会業やラジオ、テレビ番組に引っ張りだこの矢作さん。
若い頃の“尖り”は落ち着きを見せつつも、その芯の強さは今も健在です。
年齢を重ねても変わらぬスマートな佇まいと、ブレない芸風こそ、長く愛される理由かもしれません。
矢作兼さんの若い頃は、まさに“イケメン会社員”であり、“尖った挑戦者”でもありました。
芸人になる前の経験や信念が、今の穏やかで芯のあるキャラクターにつながっているのです。
おぎやはぎの自然体なお笑いの裏には、そんな熱い過去があったとは…ファンとしてはますます目が離せませんね!
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